2001.10.05.更新
@生年月日 A出身 B身長/体重 C血液型 Dポジション E趣味 F愛称 GJリーグデビュー戦
H出場試合数/得点/失点(GKのみ) I代表暦 J個人タイトル/チームタイトル K個人的寸評L目標とする選手・憧れの選手
B 180cm/72kg
C A型
D GK
E
F ピーコ
G
H
所属チーム |
Jリーグ |
ナビスコカップ |
天皇杯 |
||||
試合出場数 |
得点 |
試合出場数 |
得点 |
試合出場数 |
得点 |
||
1992 | 横浜フリューゲルス | 4 | 0 | ||||
1993 | ↓ | ||||||
1994 | ↓ | ||||||
1995 | ↓ | ||||||
1996 | 横浜マリノス | 16 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 |
1997 | ↓ | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 |
1998 | 京都パープルサンガ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1999 | ↓ | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 |
2000 | 名古屋グランパスエイト | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2001 | 京都パープルサンガ |
I
J
K 1996年開幕。チャンピオンシップを制した翌年は、能活がアトランタ五輪の最終予選のために、数週間Jリーグ出場出来ず、その穴を埋めるべく補強で獲得したGK。結果的に開幕4連敗してスタートダッシュに失敗。セカンドステージ終盤も能活が手の怪我で戦列を離れてピッチに立つが、あまり良い成績が残せませんでした。リーグ戦16試合に出場し3勝12敗1分。横浜歴代GK陣の中でもっとも悪い勝率を持っています。
2001年は京都で出場チャンスを掴んでいます。来年J1のぴっちで戦えるだろうか?(2001.10.05 write
by Rick)
L