柳 相鐵 yoo sang chul

2003.07.10.更新


@生年月日 A出身 B身長/体重 C血液型 Dポジション E趣味 F愛称 GJリーグデビュー戦 
H出場試合数/得点/失点(GKのみ) I代表暦 J個人タイトル/チームタイトル K寸評L目標とする選手・憧れの選手


@ 1971年10月18日
A 韓国・ソウル/蔚山現代 〜横浜Fマリノス(1999-2000)〜柏レイソル(2001-2002)〜蔚山現代(2002.6-2003.6)〜横浜Fマリノス(2003.7-)
B 184cm/78kg
C A型
D MF
E 旅行
F サンチョル
G 

H 

所属チーム Jリーグ ナビスコカップ 天皇杯
試合出場数 得点 試合出場数 得点 試合出場数 得点
1999 横浜Fマリノス 22 7 3 0 3 1
2000 横浜Fマリノス 22 17 6 3 3 0
2001 柏レイソル
2002 柏レイソル
2002 蔚山現代
2003 蔚山現代
2003 横浜Fマリノス

I

韓国代表
ワールドカップ98 フランス大会出場 3試合出場1ゴール
98アジア大会出場
2002ワールドカップ出場

J
K

2003年7月ユ・ヒョンが帰って来ました。岡田監督の求めるユーティリティがあり、日本のサッカーを知っているという条件に見事合致した選手として帰って来ました。現在の韓国代表キャプテン。そのユーティリティなプレイぶりは、以前所属時にも十分見せていましたが、加入して全体練習1日で迎えた、初戦の清水戦、人生初めての右SBで起用され、対面のアレックスを完封すると共に、ロングスロー、セットプレイでの存在感と、初加入とは思えないポテンシャルの高さを見せつけてチームの勝利に貢献。大切な1ピースが埋まったことで、チームが更なる高みを目指していけそうな力となれる選手です。
初試合後に、ゴール裏のサポータへ、ユニフォームのFマリノスエンブレムをかざす姿は、これからの躍進を期待させてくれました。(2003.07.10 write by Rick)

韓国代表キャプテンとしてチームに加入、1999年はシーズン前の怪我でフルにポテンシャルを発揮出来なかったが、1999年の清水戦でFW−ボランチ−DFと1試合で3つのポジションをこなすオールラウンダーぶりを見せつける。2000年はポジションをFWに固定、圧倒的なパワーのキックとヘディングの強さを生かしてゴールを量産。ファーストステージ優勝の原動力となる、シーズン中盤に怪我で戦列を外れた時期が痛かった。
2001シーズンは2年間の契約が切れ、欧州リーグ挑戦という話しも有ったが、金銭的理由で柏レイソルに移籍。ライバルとして戦う事になる。(2001.05.10 write by Rick)

L


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